鹿児島湾の生成と桜島 Kagoshima Bay


鹿児島湾の生成と桜島
Creation of Kagoshima-Bay and Sakurajima Volcano

「鹿児島」の語源の一つとして「カゴ」は崖という意味で、四方が崖に囲まれている桜島は「カゴ島」といわれ、鹿児島は桜島の古い名であるという説があります。 その桜島そしてそれを擁する独特の形状をした「鹿児島湾」(錦江湾)は鹿児島のシンボルでもあります 。

「鹿児島」の由来について
「鹿児島」という地名は鹿児島神宮(霧島市隼人町)に由来すると言われています。 
その語源は、天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)が海神宮(わたつみ)に行く際に乗った舟が鹿児山で作られたという説や、「神籠もる島」という説、「カゴ」は崖という意味で、四方が崖に囲まれている桜島は「カゴ島」と謂われ、鹿児島は桜島の古い名であるという説、など諸説があります。

信頼できる史料では、醍醐天皇(885-930年)の時に編纂された『延喜式神名帳』(927年)に「大隅国桑原郡 鹿児嶋神社」とあり大社に列されています。その高い社格から桑幡氏、税所氏などの有力国人をその神職より輩出しました。
平安時代に宇佐八幡が九州各地に別宮を作ったのに伴い、当社に八幡神が合祀されそれ以降、正八幡宮・大隅八幡宮・国分八幡宮などとも称されました。
また、戦国時代から江戸時代には、地元の大名である島津氏の尊崇を受けました。

湾の北部には桜島が位置し、1914年(大正3年)に「桜島大正大噴火」による溶岩流出で、桜島と大隅半島は陸続きとなりました。
海域としては、薩摩半島の最南端の長崎鼻と、大隅半島の最南端の立目崎を結ぶ直線から北側を指します。

その面積は1,130平方km、南北約80km、東西約20kmのやや蛇行した形状をしており、北から湾奥部、湾中央部、湾口部の3海域に分けられます。

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鹿児島湾(錦江湾)
鹿児島湾(かごしまわん)は、鹿児島県の薩摩半島と大隅半島に挟まれた湾です。
鹿児島県内では、錦江湾(きんこうわん)とも呼ばれ、この名称が浸透しています。

湾の北部には桜島が位置し、1914年(大正3年)に「桜島大正大噴火」による溶岩流出で、桜島と大隅半島は陸続きとなりました。
海域としては、薩摩半島の最南端の長崎鼻と、大隅半島の最南端の立目崎を結ぶ直線から北側を指します。
その面積は1,130平方km、南北約80km、東西約20kmのやや蛇行した形状をしており、北から湾奥部、湾中央部、湾口部の3海域に分けられます。

湾の北部には桜島が位置し、1914年(大正3年)に「桜島大正大噴火」による溶岩流出で、桜島と大隅半島は陸続きとなりました。
海域としては、薩摩半島の最南端の長崎鼻と、大隅半島の最南端の立目崎を結ぶ直線から北側を指します。
その面積は1,130平方km、南北約80km、東西約20kmのやや蛇行した形状をしており、北から湾奥部、湾中央部、湾口部の3海域に分けられます。

湾奥部と湾中央部の間に活火山である「桜島」があります。湾の平均水深は117mと比較的深く、海岸付近の傾斜角が大きい椀形の海底地形となっています。

この鹿児島湾は南北に連なる正断層に沿った地殻の沈降によって形成されたと考えられています。
この沈降地形は鹿児島の南方海上にある鬼界カルデラ(薩摩硫黄島、竹島沿海)付近から鹿児島湾、加久藤盆地を経て人吉盆地付近にまで及び、鹿児島地溝と呼ばれています。
この地溝に阿多カルデラ姶良カルデラなどの火山活動で生成された地形が加わることによって現在の鹿児島湾ができあがったと言われます。

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湾奥部
鹿児島湾の湾奥部を形成しているのが姶良カルデラでです。

姶良カルデラ(あいらカルデラ)は、鹿児島湾北部(湾奥)において直径約20kmの窪地を構成しているカルデラです。
現在のカルデラを形成した姶良噴火は、約2.9万年前と推定されており、現在も桜島火山のマグマ供給源とされています。

このカルデラの中心は新島(燃島)付近と推定されています。

またこのカルデラは単一のカルデラではなく、大崎カルデラ(北西部)、若尊(わかみこ)カルデラ(北東部)、浮津崎カルデラ(南東部)など複数のカルデラが複合したものと考えられています。
また、全体が一度に形成されたものではなく、150万年前から活動があり、少なくとも北側の一部分は80万年以上前から存在している形跡があることがわかっています。

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約3万年前の姶良大噴火でおおむね現在の形になり、約2.6万年前にカルデラ火山の桜島火山が誕生しました。

また淡水性生物化石が出土していることから、形成当初は淡水で満たされていましたが、約1万年前の最終氷期以降の海面上昇とカルデラ南壁の崩壊により海水化したと考えられています。

現在カルデラ内部にも噴気活動が観察される若尊(わかみこ)などの海底火山や隼人三島(神造島)などの火山島が形成されるのが観測され、地下100kmのプレート境界で作られたマグマが上昇し、カルデラ中央部地下10kmにマグマだまりを形成しているものと思われます。

なお、姶良大噴火以前は、カルデラ北東部に淡水湖が存在していた形跡があり、何らかの隆起地形が存在していたとの説もあります。
カルデラに隣接して鹿児島市や霧島市などの市街地が形成されています。カルデラ壁は鹿児島市竜ヶ水地区や垂水市牛根地区で急斜面となっており、大雨によってしばしばの土砂災害をもたらしています。

湾中央部・桜島

桜島火山は姶良カルデラの南縁付近に位置しており,このカルデラの2.9万年前の巨大噴火の3千年ほど後に誕生した、日本の火山の中では比較的新しい火山です。有史以来頻繁に繰り返してきた噴火の記録も多く、現在もなお活発な活動を続けており、海の中にそびえるその山容は特に異彩を放っており、鹿児島のシンボルの一つとされ、観光地としても知られています。

2007年に日本の地質百選にも選定され、国際火山学及び地球内部化学協会が指定する特定16火山のひとつです。

桜島西部の横山地区にある城山(横山城跡)は古い時代に形成された台地であり、少なくとも約11万年前には陸地として存在していたと考えられていますが、残りの大部分は地質学的に最近の火山活動によって形成された非常に新しい火山と言われています。
約2万9千年前、姶良カルデラで発生した巨大噴火(姶良大噴火)によって現在の鹿児島湾の形が出来上がりました。

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桜島はこの巨大カルデラ噴火の後に火山活動を始めたと思われます。

それは約2万6千年前、鹿児島湾内の海底火山として活動が始まり、安山岩やデイサイト質の溶岩を流出しながら大きな火山島を形成していったと考えられています。

約1万3千年前には北岳が海上に姿を現し、この頃に北岳から噴出した火山灰の地層は九州南部に広がっておりサツマ火山灰と呼ばれています。噴火活動は約4500年前から南岳に移行しました。

一方、中岳の活動史は十分に解明されていません。
桜島は、その名の通り明治以前は湾内に浮かぶ島であり、島の東側にも水深80m、幅360mの海峡があり瀬戸海峡と呼ばれていました。(右図 大日本帝國陸地測量部1902年測量の地図)

1914年(大正3年)の桜島大正大噴火の溶岩流出によって桜島と大隅半島が繋がり、湾の形状、海流を大きく変えました。

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新島は、1779年(安永8年)の桜島安永大噴火の際に海底が隆起して出来ました。

ハワイの真珠湾と形が似ていることから、真珠湾攻撃を前にした日本海軍航空隊や連合艦隊が周辺で実戦を想定した入念な秘密演習を行っています。

現在でも鹿児島湾は水深が深い内海であり、戦略的に重要な海上水路(チョークポイント)でもある大隅海峡にも近く、えびのVLF送信所にも近いことから、日本でも数少ない潜水艦の聖域として射爆訓練等に利用されています。


湾南部・阿多カルデラ

1980年代にかけての調査で、薩摩半島南部と大隅半島南部に広く分布する阿多テフラと呼ばれる火山噴出物の起源は、当初想定された池田湖の北西部の南北約14km、東西約24kmの楕円形領域に広がるカルデラではなく、それより約20km北側の鹿児島湾内にある別のカルデラから噴出されたと考えられるようになってきました。

現在では、この北側を「阿多北部カルデラ」、南側を「阿多南部カルデラ」と呼称しています。

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阿多北部カルデラは火砕流を伴う噴火と陥没を繰り返しており、約11万年前の大噴火においては、カルデラから阿多テフラが噴出した直後に阿多南部カルデラでも陥没が発生したと考えられています。この大噴火の後、阿多南部カルデラ内部に鷲尾岳、清見岳など指宿火山群と呼ばれる火山群が形成されました。

約5500年前には阿多南部カルデラ西北縁部で大噴火が起こり池田湖(池田カルデラ)が形成されました。

これとほぼ同時に発生したマグマ水蒸気爆発により山川湾、成川盆地、鰻池、池底、松ヶ窪などの噴火口群が相次いで形成されたと考えられます。
その後、鍋島岳や開聞岳が形成され現在に至っています。

阿多南部カルデラ内部にある池田湖から山川湾にかけてのカルデラおよび噴火口群は池田山川としてランクC活火山(過去100年間噴火していない火山)に指定されています。
カルデラの西縁には同じくランクCの活火山開聞岳があり、カルデラ内部には指宿温泉があります。



大隅半島 肝属平野の形成

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約11万年以上前までは、大隅半島中部、現肝属平野付近はかつて浅い海が広がり、鹿児島湾と志布志湾は、接続していたと考えられています。

しかし、約11万年前に阿多カルデラから噴出した阿多火砕流や約3万年前に姶良カルデラから噴出した入戸火砕流によって埋められ現在のような台地や低地となったと考えられています。

シラス台地上に降った雨水は地下に浸透しやすく被圧地下水となって台地周辺部で湧出しており、志布志湾岸沿いの湧水付近には泥炭地が発達しており、また海岸には砂丘が形成されています。

右図は、現在の地形図を基に鹿児島湾と志布志湾が接続していた状態をシミュレーションしたものです。(海面が現在より60メートル高い場合)

 

 

  

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